細胞的神経的文脈

ゴミブログ なう

おはつの記事

生きている以上諸々の事情が重なってブログを始めなければならなくなったということはよくあることであります。この記事ははてなブログの仕様をとりあえず試すためのテストに過ぎません。

生きている以上人は自らの脳が作り出すヴィジョンを言葉に変換した上それを他人の脳にぶち込もうなどという下賎な欲望にとりつかれたまま滅多なことではそこから抜け出すことが出来ません。いえ少なくとも私はそう。

そして自らのお粗末なヴィジョンをどうにかして他人様の頭に捩じ込みたいがために古今東西あらゆる表現技法が生み出されてきた。言葉とヴィジョンの繋がりがみっちり強いということは一方その繋がり方が他人には全く理解出来ないということでもある。汎用的な表現を用いるか、個人的に強い表現を用いるか、二項対立のはざまで板ばさみになって悩んでいるけれど正直そんなことに貴重な人生時間割いてて悲しくないのか疑問は残る。

ちなみに将来脳科学が発達してヴィジョンをそのまま伝えることが出来るようになったら小説どころかあらゆる芸術はこの世界からオサラバであろう。未来のことではあるがそれを思うだけであまりにも悲しいから、裏庭に『げいじゅつのおはか』って書いたアイス棒突き立てて、夏休みは毎日念仏唱えて差し上げたいところ。皆さんもどうぞ。