細胞的神経的文脈

ゴミブログ なう

眠れない昼間

毎日工学部でいくつもの授業を受けているし、家にいる時間も一般的な生活で手一杯だ。文学を挟む余地がない。嘘です。余地はある。本当はやりたくない。

文学サークルに入って、真面目な本を読まないといけないようになってから、不真面目な本すら読まなくなってきた。同じ大学に通う友人の書く小説を読んでいると、そのレベル如何に関わらず、自分があえて頑張る必要なんて無いんじゃないかな、と思う。ワタシちゃんのために小説を書いてきたから、ワタシちゃんがほしくないなら書かなくて良い。シンプルな論理ではないだろうか。

私はこれから小説を書くのだろうか?正直、自分には才能が無いと思ってる。だから職業小説家にはなるはずがない。だけれど、趣味で小説を書くなんていってる世の中の人たちは、やっぱり自己満足以外の理由で書いているのだろうか?もし自己満足でしかないなら、あまりにも「満足しなさすぎ」じゃないか?飽くなき欲望の炎にコップの水で消火活動みたいな生産性の無い行為にわざわざ他人を付き合わせる神経は私には無い。小説を書くための動機があれば、また書き始めるだろうけれど、「動機がほしい」とは到底言いたくない。だってあまりにもみっともないでしょう、動機がほしいなんて。我慢しなきゃいけないね。口を閉ざして……

閉ざしたらブログ書けないけれども。私の明日はどっちだ。乞う御期待。