細胞的神経的文脈

ゴミブログ なう

二日目の記事

とくに言いたいことがなくてもとにかく言葉をそれらしく繋げておくことが今の私には必要な技術なのだった。

私が小説を載せたサークルの会誌は作りが非常に雑で、分かってたくせにPCの素人に仕事を任せた私にも責任の一端がある、みたいな感じがある。本命の作品は次回に載せるつもりでいて、その頃までには総合編集の工程をWord抜きで済ませられるようなサークルに生まれ変わらせたい。さりげなく素人を貶したけれど私がやったところでやっぱり間違いは発生したりして、ドヤ顔で指を指されること請け合い。プロ意識は明るく正しく運用しなければならない。自省の日々だ。遊びで生きてる訳じゃない。

工学部のひとなので、責任もって一つの価値観に従って生きてる。社会人っぽい。そういうのは誉められるべき態度だ。文学的に問を発生しないこの態度の価値は路傍のクソ以下かもしれないが、常に問うてれば他になにもしなくていいなんて言いながらプラトンおじさんの物真似してるヒキニートに与える飯は誰が賄うのか。もう問いだか答えだかいうのが大事にされる世の中じゃない。元素が発見されつつあった時代に四元素説にしがみついてた錬金術マンたちの涙ぐましい努力を思わせる。